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インドスタートアップ

インド発LLM 多言語と主権クラウドで挑む次世代AI Krutrim

2025年9月8日

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インド発LLM 多言語と主権クラウドで挑む次世代AI Krutrim

ここ数年、生成AIは検索や仕事道具だけでなく、決済・移動・行政サービスまで飲み込む勢いで広がっています。ところが実運用の現場では、「英語偏重でローカル言語に弱い」「機密データを海外クラウドに置きづらい」「チャットで終わり実行まで届かない」といった壁が根強く、特に多言語・大規模なインド市場では解決の難易度が高いままです。

このボトルネックに正面から挑むのが、インド発のAI企業 Krutrim。同社は国内に拠点を置くクラウド基盤から大規模言語モデル、音声対話、業務エージェントまでを垂直統合し、インド諸語で「理解して、動くAI」を目指します。公共料金の支払いから移動手配、コールセンター支援まで、日常と産業のあいだにAIを実装していく、そんな「India-first」の設計思想が核です。

今回は、このKrutrimについて、その事業の狙いと差別化のポイント、そしてインドAIエコシステムの潮流の中でどこに位置づけられるのかをご紹介します。

1. 概要|Krutrimとは

Krutrim(クルトリム)は、インド大手配車サービス企業Olaの共同創業者バビシュ・アガルワル氏によって2023年12月に設立されたAI企業です。

社名はサンスクリット語で「人工(Artificial)」を意味し、「インド発のAIスタックを自前で築き上げる」という壮大なビジョンを掲げています。

同社はクラウド基盤から大規模言語モデル(LLM)、AIアプリケーション、さらには専用半導体チップまでを垂直統合的に開発し、「インド独自の主権クラウド」を展開する戦略を取っています。特に多言語対応と音声対話を強みに、インド国内の多文化・多言語社会に最適化されたAIソリューションを提供する点が大きな特徴です。

主力サービス「Krutrim Cloud」では、GPUによる高速計算環境や大規模データ管理を可能にし、開発者や企業がAIモデルを自在に構築・運用できるクラウド基盤を整えています。また、同社が開発した対話型AIアシスタント「Kruti(クルティ)」は、13のインド言語に対応し、タクシー予約や公共料金支払い、画像生成まで実行できるエージェントAIとして注目を集めています。

さらに、ベンガルールやハイデラバードに設置した自社データセンターを活用し、データをインド国内で処理・保管する体制を確立。加えて、2026年までに国産AIチップ(「Bodhi」「Sarv」「Ojas」シリーズ)を投入する計画も進めており、クラウドから半導体まで一気通貫の体制でAIエコシステムを構築しようとしています。

Krutrimは「ローカルのためのAI」を旗印に、ユーザーの日常生活や産業の現場に根ざしたAIの普及を目指すインド発の先鋭企業として急成長を遂げています。

2. 企業概要|Krutrim

法人名Krutrim SI Designs Private Limited
ファウンダーBhavish Aggarwal
HPリンクhttps://www.olakrutrim.com/
設立年度2023年
資本金
売上₹3.09Cr as on Mar 31, 2024
本社所在地Bengaluru, India
従業員数664(2025年5月時点)
ミッションEmpowering India’s AI revolution
tracxn、LinkedIn、会社HPより筆者作成

3. 創業の経緯、ファウンダーBIO

Krutrimを立ち上げたのは、Ola Cabs の共同創業者として知られる Bhavish Aggarwal(バビシュ・アガルワル) 氏です。

アガルワル氏は1985年、パンジャーブ州ルディアナに生まれ、インド工科大学ボンベイ校(IIT Bombay)でコンピュータサイエンスを専攻し、2008年に学士号を取得しました。在学中から起業への関心が強く、Microsoft Research Indiaに勤務したのち2009年にOlaを創業。配車アプリ事業を急速に拡大させ、Olaをインド最大級のライドシェア企業に成長させました。その後も電動二輪の製造販売を担うOla Electricを設立し、モビリティ分野で持続可能な未来を描いてきました。

そうした経験を通じて、インドの成長に不可欠なのは「自国発のテクノロジー基盤」だと痛感。海外のクラウドやAI技術に依存する構造を打破すべく、2023年12月にKrutrimを立ち上げました。創業の動機は明快で、「インド人のためのインド語を理解するAI」をつくり、インフラから半導体まで一貫して国内で担える仕組みを築くことでした。

彼は起業家としてだけでなく、技術者としても現場感覚を持ち、AIクラウドや半導体開発というハードな領域にも強い関心を注ぎ続けています。Aggarwal氏のキャリアは、「Olaでモビリティを変革し、Krutrimでデジタル主権を実現する」という一貫した挑戦の道筋にあると言えるでしょう。

4.過去のラウンド概要

2024年1月に、約 $50Mの資金調達を行い、ユニコーン(評価額 $1B)となりました(資金源はMatrix Partners Indiaなど)

ラウンド名時期調達額参加投資家
Funding RoundFeb 4, 2025₹20BBhavish Aggarwal
Debt FinanceFeb 4, 2025
Series AJan 26, 2024$50MZ47
Debt FinanceOct 10, 2023$24M
Crunchbaseより筆者作成

5. 事業内容

① AIクラウド基盤と開発環境

Krutrimは「Krutrim Cloud」を中核に、AIの研究開発から商用展開までを一気通貫で支援するプラットフォームを提供しています。GPUによる高性能計算環境や大規模データ処理機能を備え、企業や開発者が安全かつ効率的にモデルを構築・運用できる環境を整えています。すでにインド国内に複数のデータセンターを展開しており、データ主権の観点からも信頼性の高い基盤を実現しています。

② 多言語対応LLMとアプリケーション群

同社は、22のインド言語を理解し、そのうち10言語以上で自然な文章生成を可能とする大規模言語モデル「Krutrim V2」を開発しています。特に音声対話機能を強化し、インド市場で重要な「音声ファースト」利用環境に対応しています。これを活用したアプリケーションとして、地図サービス「Ola Maps」、翻訳基盤「Language Hub」、顧客対応を自動化する「Contact Center AI」などを展開しています。中でも、複数の公共サービスや商取引を実際に代行できる対話型アシスタント「Kruti」は、同社のフラッグシップ製品です。

③ 垂直統合と半導体開発

Krutrimの戦略上の大きな特徴は、AIクラウドから半導体までを自社で垂直統合する点にあります。AI処理に特化した「Bodhi」、汎用計算用の「Sarv」、エッジ向けの「Ojas」といった国産AIチップの開発を進めており、2026年以降の市場投入を計画しています。この取り組みにより、インド市場特有の電力制約やコスト要件に適合したソリューションを提供することが可能になります。

④ ハイブリッド戦略による柔軟性

Krutrimは自社モデルだけに依存せず、Anthropic社のClaudeなど他社の先進モデルも用途に応じて組み合わせるハイブリッド戦略を採用しています。これにより、例えばプログラミング支援や特定産業向けのニーズに最適化したAIサービスを提供し、ユーザー体験の質を高めています。

6.競合との差別化ポイント

① 真に「主権を支えるAIクラウド」の構築

Krutrimは、西洋のアーキテクチャを模倣するのではなく、インド仕様のAIクラウドをゼロから設計しています。Clouderaとの戦略的提携により、インド企業が必要とするスケーラブルでコスト効率の高いAIデータ基盤を実現し、Ola社内はもちろん外部企業にも提供できる体制を整えています。これは単なる技術導入ではなく、データ主権と経済性を両立する国家的インフラ形成への道を拓く差別化です。

② 大規模・多言語対応LLMによる実践性能

Krutrimが開発した多言語基盤モデル(Krutrim LLM)は、2兆トークン規模の学習データによって構築され、インドの22言語に対応し、うち10以上の言語では高水準な生成性能を維持しています。Indic言語領域では高い精度を誇り、一部のタスクにおいてはLLAMA-2を上回る実績もあります。これは、他の汎用モデルが充分にカバーできない地域特有の問題にも応える優位性です。

③ エネルギー効率を追求したハードウェアパートナーシップ

KrutrimはAIチップ開発を目指しており、特にカナダのUntether AIと提携して、At-Memoryアーキテクチャによる、省電力かつ高性能な演算環境を構築しています。このアプローチは、インド市場のコスト・電力制約にマッチする戦略的優位であり、競合との差別化に直結する要素です。

④ 実行まで担うエージェントAIとしてのKruti

Krutrimが2025年6月に公表した「Kruti」は、単なるチャットボットではなく、推論・計画・行動を伴うエージェントAIです。複数の言語に対応し、タクシー予約や支払いなどをユーザーの代わりに自律的に実行します。これにより、ユーザーエクスペリエンスは問答から結果の実現へと進化しており、競合との差を明確にします。

⑤ 公共・官民領域への積極展開

Krutrimは、ガバナンス支援プラットフォーム「BharatSah’AI’yak」を開発したSamagra社を買収し、AIによる教育・行政・農業支援などの公共分野に進出しています。これは公益価値と社会インフラ化を志向する戦略であり、単なる商用サービス提供に留まらない存在価値を高めています。

⑥ ブランドとビジョンによる感情的リーチ

Krutrimは、「インドがAIを自ら設計・制御するプライド」という強いミッションを打ち出し、自社内外で思想的リーダーシップを築いています。Olaグループとの連携による「Mobility × AI」など、技術と文化・経済の両面を横断する価値提供は、他のスタートアップには真似できない、国家的プロジェクト感を帯びた差別化にもなっています。

筆者コメント

ここまで「Krutrim」について、事業内容や競合との差別化を交えて整理してきました。

世界的に生成AI市場は急成長を続けており、2025年には1,500億ドル規模を超えると予測されています。その中でもインドは、13億人を超える人口規模、22の公用語を含む多言語環境、そして政府によるデジタル主権推進政策を背景に、AIインフラの整備が最重要課題となっています。実際にインド国内では「英語偏重モデルでは対応できない」「データを国外クラウドに置けない」といったニーズが顕在化しており、これがKrutrimのような国産AI企業を後押ししています。

その中でKrutrimは、①インド言語に最適化した自社LLM、②インド国内データセンターによる主権クラウド、③2026年以降に投入予定の国産AIチップ、④公共分野を含む幅広いユースケースへの展開、という4本柱を築き、差別化を実現しています。特にエージェント型AI「Kruti」は、タスク実行まで可能にする行動するAIとして、他のグローバルプレイヤーとの差を際立たせています。

投資家の視点から見ると、Krutrimの事業モデルは 「AI技術企業」ではなく「国家的インフラ企業」 に近い位置づけです。自国語対応とデータ主権を同時に満たすことは、インド特有の大市場において強力な参入障壁となり得ます。一方で、半導体開発やクラウド事業への巨額投資は資本負担が重く、長期的な資金調達力とパートナーシップ構築力が成否を分けるでしょう。

今後、インド国内外で生成AIの商用利用が本格化するにつれ、「インドのためのAI」を標榜するKrutrimは有力な選択肢として存在感を高めていくと考えられます。日本の投資家にとっても、インド市場の成長性と国家戦略の後押しを背景に、ミドル〜ロングタームで注目に値する企業であると評価できます。

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記者プロフィール
齊藤大将さん
株式会社シュタインズ代表取締役。 情報経営イノベーション専門職大学客員教授。 エストニアの国立大学タリン工科大学物理学修士修了。大学院では文学の数値解析の研究に従事。VR学校(私立VRC学園)やVR美術館を創作。CNETコラムニストとしてエストニアとVRに関する二つの連載を持つ。 この記者の記事一覧